| 57団の歴史をひもとく前に… |
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57団の歴史を語るためになくてはならない人物が渡辺昌明(ナベさん)氏だ。若干24歳で57団を立ち上げ、カブ隊、ボーイ隊長を歴任し、57団の大黒柱としていっときも休ことなく情熱を注いできた。隊が育ち、後任の隊長が出てきてからは団委員長として、あるいは地区役員としてもいつも最前線でスカウトのために尽くしてきた。そんなナベさんが2005年8月、突然の病で帰らぬ人となってしまった。手当ての甲斐もなく、あっという間に召されてしまった。
毛むくじゃらの身体に、くいこむ短パン。「連帯責任だ!」でかい声ですぐに怒鳴るが、ずれるのを口で止めようとするメガネの奥は、いつも優しい目をしていた。
居るというだけで大きな安心感を与えてくれる、ターミネーターのような人だった。
このホームページをまとめるに当たり、35年間の歴史をナベさんの残した写真や資料から掘り起こしながら僕は、当時の様々なシーンを思い出しては、にやりとしたり、ひとり涙を流したりしている。燃える炎を囲みながらお酒を飲んで、一緒に語りたかったなあ。チャンスは幾度もあったはずなのに、できなかったなあ、今となってはそれがとても心残りです。
新しく参加する皆さんにはこの気持ちはうまく伝わらないかも知れませんが、少なくとも35年まではナベさんの57団として紹介していくことを大目にみて下さい。
BP死後もその精神は脈々と受け継がれていったように、ナベさんの意思を継いでいく人々があなたの後にいます。それを信じて安心して下さい。
---ナベさんよ永遠なれ---
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| ◆ 57団夜明け前…44団からの分団 |
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昭和45年(1970年)1月31日、名古屋東地区に属していた名古屋第44団カブ第3隊の団委員会が開かれた。場所は鳴海町本町のスーパー魚七、二階。出席者は、中山 節、各務欽悟、横井孝義、渡辺昌明、石田礼己郎、大竹二郎の6名である。議題は、44団から分団する新しい団の団委員及び育成会の人事決定・CS隊スケジュール発表・発団式会場・シンボルマークの討議などである。
これら議題の決定事項が翌2月1日、鳴子中央集会場で行われた44団団委員会で「本町分団の件・大竹二郎団委員長(第3隊)より説明」として記録されていることから、鳴海町本町を中心に、新団づくりが着々と準備されていたことがうかがえる。興味深いのは同日の議題に、「作の山分団の説明」とあり、「S45年4月分団は時期尚早」との結論が報告されていることで、作の山とは恐らくその後44団から分団した62団のことであろう。なんと同じ時期に団を3つに分ける相談がされていたという、現在では考えられないようなスカウト活動の盛り上がりだったようだ。
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| ◆ メンバー決定 |
| こうして我が団は、団委員長:大竹二郎、副団委員長:各務欽悟、書記:横井孝義、会計:石田礼己郎・稲田仁、育成会長:中山節、副会長:竹内久義・幸島和男、会計:伊藤弘の各氏。カブ隊長として渡辺昌明(ナベさん)氏が決定し、発団に向けての準備が始まった。 |
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| ◆ 名古屋第56団? |
渡辺隊長のスケジュール発表によると、
2/8(日)入隊予定促進訓練実施
2/22(日)入隊予定日(団号56団)
3/中〜下 団委員とスカウトとの合同ハイキング予定
3/下 名東より審査予定
とある。名東地区の審査決定がまだ出ていない時期で、名古屋第56団として承認される予想をしていたが結局、南地区で先に56団が出たため57団となった。 |
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| ◆ シンボルマーク |
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《説明》
八咫鏡(ヤタノカガミ) は日本ボーイスカウトのシンボル。ふち取りの白色または空色は潔白・清潔・純真を現し、文字は緑区のグリーンでNARUMIとNAGOYAを表す。花文字(ドイツ文字)のNを中心に入れて他の模範になる(亀鑑たる象徴)ことを表す。
横井孝義氏のデザインによるものと聞いている。
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| ◆ 育成会 |
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団名も57団と決まり育成会設立の協力をあおぐ趣意書が各方面に送られた(↓大竹団委員長直筆原稿)
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◆ 指導者
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| 2月8日、仏立寺で行われた第44期CSコース指導者講習会。渡辺・大竹の両氏が参加。でも、この日は入隊予定促進訓練じゃなかったんですか?ナベさん。 |
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◆ いよいよ発団
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いよいよ来る発団式に向けて、ナベさんがスカウトに出した手紙(1)↓
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| 手紙(2)↓ |
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